あのこは天然

「ねえ杏ちゃん、二人ってどっちがかっこいいと思う?」

 父のカフェを間借りしたいつもの練習の合間の休憩中、こはねが神妙な面持ちでそんなことを訊いてきたので杏はつまんだ三枚目のクッキーをそっと皿に戻してまじまじと右隣の相棒をみつめた。

「二人って、この二人?」

 それしかないと分かってはいたけれど、念のため向かいに座る男子二人を指しながら問うと、こはねはこくりとうなずいて続けた。

「そう。青柳くんと東雲くんって、どっちがかっこいい人なのかな」
「ふ、ふつう本人の目の前で出す話題じゃねえだろ……」

 信じられないものを見た、と言いたげな目をして彰人が口を挟む。日ごろ意見がぶつかりがちとはいえ、こればかりは全面的に同意だと思いながら杏も首を縦に振る。一方で、このとんちきな話題をはじめた彼女の正面に位置する冬弥は、顔色ひとつ変えずゆっくりと口を開いた。

「……俺と彰人はタイプが違うし、一概には言えないのではないだろうか」
「やっぱりそうだよね……」
「よくそのまま進められるなお前ら」
「こ、こはね? どうして急にそんなこと訊くの?」

 場に漂いはじめたなんともいえない空気に耐えられず大きく身振りをしながら訊ねると、こはねは鞄からちいさな包みをとりだした。今日この日にふさわしい、バレンタインらしいラッピングのそれを静かにテーブルの真ん中に置き、困ったようにつぶやく。

 「帰り際にクラスメイトから渡されたの。こないだ一緒にいた神高のかっこいい人にあげて、って」

 そのクラスメイトがこはねと誰かを目撃したのがいつかは分からないが、毎日のように会っている四人だ。みんなで行動することも、二人または三人組で街を歩くことも珍しくない。途方に暮れるこはねにつられるかたちで、四人の間に静寂が落ちる。何か言葉を発せば墓穴を掘るような緊張感、がクローズ中の店内に広がっていった。先ほど使ったままカウンターに起きっぱなしだったサイフォンのごぽ、という音に思わず肩が跳ね、それをきっかけに仕方なく杏は沈黙を破る。

「ええと、写真でも送ってどっちのことか確認したらいいんじゃない?」
「あ、そっか。それがいちばん早いよね、あんまりクラスの子とやり取りしないから気がつかなかった」

 杏の提案にこはねは安堵した表情をみせ、早速スマートフォンの画面に指を滑らせる。残された三人はそれぞれの前に置かれたカップやクッキーに手を伸ばすこともなく、審判の時でも待つかのようにじっとしていた。当のこはねは、メッセージを送り終えたらしく晴れやかな顔でホットチョコレート――今日だけの特別メニューだ――に口をつけている。たっぷり時間をかけてどろりとした液体を飲み干していくこはねは、周りの沈黙などどこ吹く風だ。基本は常識的な性格のはずなのに、時折あっけらかんとした態度で空気を読まなくなるのは彼女のおもしろい特性のひとつだと杏は思う。空になったぽってりとした厚みのマグを置く重めの音に、軽やかな通知音が重なった。

「よかった、すぐ見てくれたみたい」

 こはねの言葉に、目の前の二人の背すじがすっと伸びる。そういう対抗心を持っているようには見えないけれど、さすがに気になるものらしい。返信を確認したこはねの指先が渦中の包みを持ち上げ、よどみなく動く。ちょこん、と自分のティーカップの手前に置かれた包みを数秒みつめ、杏は首をかしげて相棒に視線を向けた。目があうと、こはねは顔の前で両手をあわせて気まずそうに微笑んだ。

「ええと……正解は、杏ちゃんでした」
「え? 私?」

 状況が理解できず素っ頓狂な声をあげると、こはねは画面が見えるよう杏の眼前にスマートフォンをかざした。いつだかに撮った四人の写真をこはねが送り、それに対して相手が返してきたのはテンションの高いひとこと。

――こはねちゃんの隣にうつってるロングヘアの人!!!!お友達になってください!!

「わ、私……?」
「あー、いるよな。女子に人気のある女子」

 呆気にとられていると、一気に脱力して頬杖をついた彰人がぼそりとつぶやいた。隣の冬弥も納得したように腕を組んで軽くうなずく。

「確かに、かっこいい、という言葉はどちらにも使うな」
「そうだよね、私思い込みで考えてて……杏ちゃん、受け取ってもらえる?」
「あ、うん。あとでその子の連絡先教えてね、お返しするから」

 ようやく事態を飲み込み、落ち着いてそう言うとこはねはうれしそうに顔を綻ばせた。

「ありがとう杏ちゃん。なんか変な感じになっちゃってごめんね。でも一目惚れされたのが青柳くんじゃなくてよかったぁ」
「んっ!?」

 肩の荷が下りたと言わんばかりに伸びをして、ついでのように爆弾を落としこはねは奥のトイレへ消えていった。短く呻いたきり固まってしまった自分の相棒を窺いながら、彰人がため息まじりに感想をこぼす。

「あいつって本当はいちばん大胆だよな」
「冬弥も似たところあるけどそれ以上だよねー……」

 そこも最高に可愛いんだけどね、と付け足し、自分はとてもじゃないけどできないな、と心中で続けながら練習を再開するべく杏も席を立った。